死刑執行人サンソン ―国王ルイ十六世の首を刎ねた男 (集英社新書)
https://gyazo.com/10e2b26d6373aca4d30579055447a99b
敬虔なカトリック教徒であり、国王を崇敬し、王妃を敬愛していたシャルル─アンリ・サンソン。彼は、代々にわたってパリの死刑執行人を務めたサンソン家四代目の当主であった。そして、サンソンが歴史に名を残すことになったのは、他ならぬその国王と王妃を処刑したことによってだった。 本書は、差別と闘いながらも、処刑において人道的配慮を心がけ、死刑の是非を自問しつつ、フランス革命という世界史的激動の時代を生きた男の数奇な生涯を描くものであり、当時の処刑の実際からギロチンの発明まで、驚くべきエピソードの連続は、まさにフランス革命の裏面史といえる。 序章 呪われた一族
第3章 神々は渇く
終章 その日は来たらず
典型的なフランスの処刑人は市街地に住むことが許されず、呪われた一族として世間から隔離されていた。
処刑人の子は処刑人となり、学校に行くことも許容されていなかった。
本書主人公のサンソン家は六代にわたってパリの死刑執行人を務めた家系
一般人であった初代サンソンが、処刑人の娘マルグリットと恋に落ちることから物語は始まる。
サンソン家は三代目までは処刑人としては裕福な暮らしをできていた
処刑人には給料がなかったが、商人たちから一定の現物を税金として徴収する権利があった
サンソン家は副業として医業も行っていた
死刑執行人がゆえに、人体の生理機能について詳しくなっていた
アンリ・サンソンが過ごしたフランス革命前の時代は義務教育がなく、人口の3分の2は自分の名前も書けなかった。
父が脳卒中で半身不随になり、15歳で処刑人を継ぐことになったアンリ・サンソン 父殺しの容疑で車裂きの刑を受けることとなった死刑囚を群衆が助け出し、死刑を妨げた事件
p67
死刑囚が処刑台の上から救出されるという前代未聞のこの事件は、国家の決定が民衆の意思によって覆されたものであり、しかも、国王が宮殿を構える本拠地、ヴェルサイユで起こったことである。これを革命と言わずして、なんと言おう。これは大革命が勃発する1年前に起こった一つの革命と言っていい。 いきなりフランス革命のような大革命が発生するのではなく、前触れとして小さな革命が少しずつ発生していた 本書ではルイ16世の評判はとても良く、処刑されるべき悪の王のような評価ではない 革命の理由とされる王家の散財は、むしろ先代・先々代のツケが回ってきたとも言える
ギロチンの誕生
「自由と平等」というコンテキストのもと、ギロチンが登場する 誰もが公平に、一瞬で苦しまずに斬首できるから
残酷な八つ裂きの刑と比べると、ギロチンによる執行は死刑囚にとって楽な死に方であるという見方
p117
1789年10月10日、ギヨタンという国会議員が、同一の犯罪は同一の刑で処罰されるべき旨の意見書を国会に提出した。これまでは同じ罪で死刑の判決を受けても、貴族と一般庶民とでは処刑の仕方が変わっていた。
「法の前の平等」の主張
フランス革命の指導者の一人であるマラーも死刑制度廃止を熱心に訴えていた この死刑制度反対をした二人が、後にフランス革命後の恐怖政治を行って人々を大量に殺すことになったのが皮肉である
今後は「死刑は斬首で統一する」というお触れを聞き、斬首の難しさからアンリ・サンソンは斬首統一に反対を懇願した
その反対意見が考慮された結果、簡単に斬首ができる機械であるギロチンの開発が始まった
そこまで極悪人ではなかった。盗人程度。
フランス革命初期は「自由と平等」でポジティブな感情を持っていた民衆たちだが、革命後のオーストリアとの戦争に敗北するなどして悪いムードになっていった
ヴァルミーで勝利を収めたその翌日、王政廃止が宣言された
ルイ16世の裁判が開かれ、有罪判定、そして死刑判定となった
九月虐殺事件は、フランス革命のもっとも暗い負の部分と言われている 革命に反対していた僧侶などが虐殺された
虐殺は5日間つづき、千数百人の犠牲者が出た
シャルル・アンリ・サンソンがルイ16世の処刑を命じられ、その心情を語る章は映画化されて欲しい
ルイ16世の処刑後は恐怖政治が加速し、ギロチンによる効率的な死刑執行の数が激増する
「死刑制度は間違っている」と廃止を強く求めた、死刑執行人のアンリ一族